「会社という組織に属してみて自分は無理だなと思ったこと」

また結論や答えのないことを書きます。

アメリカの東海岸方面では組織という概念の中で労働をしたことが何度かはありますが、日本では今回が初めてです。
34年間生きてきて初めてなのでまあまあ珍しいケースだとは思います。

「法人」とは一般的には「利潤を追求する団体」というのが一番わかりやすい表現でしょう。
その利潤というのは、現金なのかそうでないものなのかはわかりません。
ただ、組織の中で働いている人に対してはその対価を払い、守る義務が最低限はあります。

最初に自分のポリシーとは違うと感じたのは、手段を問わず数字を上げている人がしかるべき評価を得て、お金なりポジションを得ているということでした。

私は、今までは、自分と関わる人とは徹底的に会話をして、その人の適正や得意不得意好き嫌いなどを含めた上でお願い事をして、できたら「ありがとう」と伝え、また次のことをお願いする、ということをしてきましたがそれでは日本の法人という組織の中では全く役に立たないどころかむしろ非効率とされることがわかりました。

また、色んな人が自分の業績を認めてもらおうとして争いが起こります。
私は自分を原因とした争いや自分の仲間が原因とした争いは絶対に好みません。
それが起こるのであれば、なんと言われ指を指されようが自分はそこから去る、というのが一番です。

会社は業績を伸ばし、人はどんどん増えました。
その結果起こったことが人間同士の摩擦です。

それを知ってか知らないでか、関与しようとせずに黙々と成績を上げた人もいます。
私はどちらかというと道で倒れている人がいたら救急車を呼ばずにはいられないし、それをしなかったことで数日間引きずって鬱になったりもするので、その手の問題には積極的に首を突っ込みました。
何ができるかはわかりませんでしたが、何かはできると思っていたからです。
それ良かったのか悪かったのかの結論は未だに出ず、将来わかるかどうかも不明ですが、何もしないということは私にとっては逃げるということと同義なのでそれはできません。

「社会人なんだからそれくらいのことは我慢して当たり前」という意見も多々あるでしょう。
でも、なければない方が良いし、それを見逃して良いという理由には私には聞こえません。
もちろん、首を突っ込んだ手前、責任はあるしそれを背負う義務もあります。

結論として、私はココロとカラダを壊し、ドロップアウトしました。
「やっぱりアイツは間違っていた」と後ろ指をさされているかもしれません。

でもやはり、自分が正しいと思ったことをせずに会社の求めることだけに徹する、ということは私にはできません。
正しくは、できませんでした。

私は疑問に思います。
自分が正しいと信ずることを叫ばずに何を叫ぶのでしょうか。

私は疑問に思います。
助けが必要な人がそれを叫べないことは悪いことなのでしょうか。

私は疑問に思います。
その助けを聞いて、自分ができることをすることは悪なのでしょうか。

まるで宗教の宣伝のような文章になっていますが、それで構いません。
私は誰かにとっての神になり、そして死に、誰か二人が生きることができればそれでプラスです。

つらいことをつらいと叫び、苦しいことを苦しいと叫ぶことに何の罪があるのでしょうか。
組織の中で誰もそれを聞いてくれないのであれば、そんなところからは逃げれば良いだけのことです。
ただ一人で耐えているだけでは何の解決にもならないし、誰の得にもなりません。
外の世界にはもしかしたら助けてくれる人がいるかもしれません。

話が隋分と脱線しましたが、やはり「組織」という枠組みの中で生きていける人は限られた人だけなのだと感じます。
それができない人はできないでいいと思います。
受け皿がなければそれを作ればいいだけのことです。
できないから自分はダメだとかそういうことは思う必要はないでしょう。
それはただのひとつの物差しでしかないのです。

あなたを測る物差しなどこの世の中にはありません。

やれることは無限大です。

「自分はここにいる」と叫べば必ず誰かに届くでしょう。

そうやって繋がりを持つ人たちがまた新しい概念を生み出してくれることを願っています。

 

20. 5月 2016 by yuichibass
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「僕は社会人としての基本的な動作ができない」

タイトル通りです。

アニメの「はがない」をもじっています。

特に結論や解決法のないことを書きます。

「社会人としての基本的な動作」という言葉は今思いついただけで、その定義は聞く人によって様々かと思います。

例とするのは、

会社が10時からなので24時に寝て7時に起きて支度をして電車が多少遅れても間に合うように9時の電車に乗って会社に行き、決められた仕事をこなして、終わったら家までの電車に乗って帰る。

もしくは、

友達と約束があるから新宿に18時までに着く。

病院の予約があるから間に合うように家を出て、病院について診察券を出す。

返信が必要なメールに返信をする。

のような「予め予約された出来事に対する動作」ができません。

小さい頃の記憶にもその片鱗はあるので、病気のせいだけではないでしょう。

そもそも小中学校の頃は病気がちであまり出席率は高くなかったし、高校の時は楽器ばかり弾いて学校祭などのクラスの行事には一度も参加していません。

アメリカの大学の時は成果主義だったこともあり無難というかむしろ優秀者に選出されましたがそれは運もあったでしょう。

24時間以上寝続けることもあれば、何かに集中して何日も寝ないこともあります。

今日は間に合ったと思っても、時計が丸々一周していたということも何度もあります。

では実際にどういう弊害があるかというと、

働くことができない=お金が得られない

友達との約束を守れない=周りに誰もいなくなる

SNSなどでうまくやりとりができない=ブロックされる

など、基本的には自分の所為で自分の実生活や精神生活が苦しくなります。

しかしそれはどうにもなりません。

少なくとも今の自分には解決することはできない、わからない状態です。

いろいろ調べてはみるものの、
西洋医学では、「魂がどこにあるか」はよく分からないし、
東洋医学でも、「気」と「氣」の概念も違います。

小さな頃から叱られたり、大人になってからは生活に困ったりしてもどうにもなりません。

「みんなができるのに何故キミだけ出来ないのか」と問い詰められたことは何度もありますが、答えられたことはありません。

できたとしても納得や理解は得られなかったでしょう。

そもそも、「社会人としての基本的な動作」が出来ないことに対する罪悪感がありません。

仮にできるようになったとしても、「幸福」な感情が得られるのかどうかもわかりません。

音楽だったり映像だったり、物差しで測れないものを作ることは昔から好きだったのでそういうことをやってきましたが、色々な理由があって自分の名義では辞めようかなと思ったりもしています。
自分が生み出した子供のような存在に対して、知らない人たちがお金のやりとりに使ったり、好きとか嫌いとか言われるのが気持ち良くありません。
あくまでゴーストライターのような立場であれば少しは続くかもしれません。
昔から作ってきた何百という曲やCGのファイルもOSやソフトのバージョンが変わって読み込める方法がなくなり、ただのゴミのようなファイルになっています。

バッハやゴッホのような人は僕よりも芯があって強い存在だったので、ひたすら自分の信じるものを作り続けることができたのかもしれません。
でも自分にはそれすらもできません。
そもそも彼らが天から与えられたであろう力を僕は持っていません。

どうやって生きていくかは色々手を尽くしてきましたが、今の日本ではそれなりに手詰まりな感覚もあります。
突き詰めると、「社会人としての基本的な動作」に起因することが大半です。

今は役所の福祉課やケースワーカーの人と相談して、「どんなに得意なことがあっても社会でやっていけないのであれば国の保護などを受けて生きていくしかない」と勧められそのような方向で言われるがままに物事が進んでいます。

どんなにたくさん出来ることがあっても、たったひとつのことができないことで、生きていくことはとてもむつかしくなります。
どんな時代でもどんな国でもそれはある程度同じ結果になるだろうなと思いました。

「自分はここにいる」と叫んでも誰にも届かない時がもうすぐそこまでやってきているのです。

20. 5月 2016 by yuichibass
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「El Capitanのライブ変換と親指シフトについて」

MacのOSをEl Capitanにした理由は日本語のライブ変換。

特に親指シフトとの相性は気になっていた。

今まで使ってきたかわせみではライブ変換は使えず、OS標準の日本語入力(Yosemiteからはことえりという名前すらなくなってしまった)でないと使えないとのことだったのでとりあえず使ってみた。

文字を入力する側からバンバン漢字に変換されていくのは衝撃的だった。

1時間ほどですっかり慣れたので、ひとまずかわせみから標準の日本語入力に乗り換えることにした。

問題は、10年ほどegbridge時代から溜め込んできた約20万語ほどのユーザー辞書。

Yosemiteから辞書の扱いが変わってしまったのでどうしようかと思ったが、ここは@shiology先生に聞いたところすぐに解決した。

(かわせみの辞書管理アプリからことえり形式で書き出してそれを標準の日本語入力のユーザー辞書にインポート)

 これにはたまたま別の恩恵があって、iCloud経由でiOSにもユーザー辞書が同期されるということ。

ただ、全部が反映されているわけではなく、どうやらiOS側にはユーザー辞書の登録数に限度があるようだ。

(これに関しては要調査)

ユーザー辞書をインポートしてからは、かなり精度が良くなってほとんどスペースキーを使わなくてもほぼ修正なしで変換が完了している状態。

もともとスペースキーではなくて、句読点変換を使っていたのだけどこれは予想よりかなり良くできている。

 

そこで、周りのMacユーザーにライブ変換について聞いてみたが、ほとんどの人がオフにしてしまったとのこと。

逆に親指シフトユーザーはそのまま使っている人が多い。

ローマ字入力の人が言うには、「変換が遅くてついてこない」らしいのだが、それはあまり感じない。

おそらくだが、ローマ字入力は1文字を入力するのに2打鍵、場合によっては3打鍵必要なのでそれがライブ変換の邪魔をしているのではないかと想像している。

親指シフトは全てが1打鍵なのでライブ変換とは相性が良いのだろう。

まさに喋るように打つというのはこの事である。

もうここまできたのなら、OSの標準の入力方法として親指シフトを組み込んで欲しい。 

 

ちなみに、親指シフトに興味を持った人はものくろさんと塩澤先生のブログが詳しいのでそちらをぜひ参考にしていただきたい。

親指シフトまとめ | ものくろぼっくす

shiology

 

・・・とここまで文章を打つのにスペースキーは3回ほどしか叩いていない。

 

その勢いでTextEpanderを新しい5にしてみた。

新しい機能はまだ全部は調べきれていないが、数回入力した文字列を通知してくれて、それを仮のスニペットとして自動登録してくれるのがありがたい。

どれだけ自分が時間の無駄をしているかがすぐに分かる。

 

新しい日本語のライブ変換とTextExpander5でまた日本語入力が1段階上に上がった気がする。

06. 10月 2015 by yuichibass
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「El CapitanでHappy Hacking Keyboard(hhkb)のキーが一部使えなくなる問題について」

El CapitanにOSをアップグレードしてからHappy Hacking Keyboard(HHKB)のかな変換キーが使えなくなりました。

メーカーではドライバーの準備を対応中らしいです。
 

Happy Hacking Keyboard | OS X v10.11 El Capitan の対応について | PFU

https://www.pfu.fujitsu.com/hhkeyboard/hhkb_support/faq_el_capitan.html

 

いろいろ探してみたところ、Seilというソフトをインストールして設定すると使えるようになるかもしれないとの情報を得たので挑戦してみました。

 

Seil – OS X用のソフトウェア

https://pqrs.org/osx/karabiner/seil.html.ja
 

 

 Seil 2015 10 05 12 12 14

インストールしてこのように設定したところ、HHKBのかなキーが動作するようになりました。

親指シフトもこれでバッチリです。

05. 10月 2015 by yuichibass
Categories: 親指シフト | Tags: , , | 1 comment

「いざ死のうとすると割とめんどくさい」

死ぬのは何年か前から考えていたからこれはさして重要なことではないけど、自分がいなくなった後に残された人達が特に不便なく暮らしていけるようにするにはやることが結構多くて煩雑だなと思っている。

別にアルコールや眠剤が入っているわけではないのでフラット。

家のネットや光熱費とか、今後発生する支払いとか収入の管理とか、考えると色々あって文字通り頭が痛い。

いつ死ぬかがわかっていればやれることは事前にやれるけど、事故や突然死だとこれはやっぱり大変なことなのだと思う。

格好つけるわけではないけど、天才は早くに夭折するってよくいわれるし。

20. 9月 2015 by yuichibass
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